第一章 独立準備

 

いつも仕事帰りによるコンビニで僕達はまるで中学生のヤンキーのように座ってタバコをふかしていた。

 

僕は25歳、長江は24歳という世間知らずの若者だった。
僕たちは同じ税理士法人に勤務していた。

 

いつものように17時ピタピタで席を立つ2人。

 

残業する先輩のまなざしを一切気にすることなくそそくさと帰宅し、いつものコンビニで作戦会議をするのが僕たちの日課になっていた。

 

作戦会議とは、もちろん、今勤めている税理士法人を退職し自分たちの城である税理士事務所を立ち上げるための会議である。

 

しかし作戦会議といっても、人生経験もビジネス経験もない若造の二人ががどれだけない知恵を絞っても、金もコネも客も何もない状態から税理士事務所を立ち上げて、短期間で成功する具体的な戦略など思い浮かぶはずもなかった。

 

「早く開業して~な~!!」

「あ~、早く金持ちになりてぇ~!」

「俺たちなら開業しても余裕でイケるっしょ!!」

「そんなん客ぐらい気合で取れるでしょ!」

 

と、言った具合に作戦会議とは名ばかりで、ただただコンビニにたむろしてお互いの願望だけを言い合う何ともお粗末な作戦会議だった。

 

今考えると、この頃僕達が持っていたものがあるとすれば、「夢」と「根拠のない自信」とそれを共有できる「仲間」だけだったと思う。

 

税理士としての能力なんて低い。戦闘力例えるならサイバイマン程度だろう。

 

何せ経験が足りない。人生においてもビジネスにおいてもだ。

 

まぁ、この頃の僕達が一番持っていなかったのは金と謙虚な心だったとは思うが。

 

独立するにあたり周囲の人間からはさんざん反対された。
でも僕には理由がまったくわからなかった。

 

だって、僕にしてみれば独立開業することなんて、何年も前に決まっていたことだったから。

 

そして、根拠は全くないけど自分なら上手くいくと信じて疑わなかった。

 

でも良く考えれば、周囲の人間から反対されるのは当たり前で、独立を考えていたのにも関わらず、何の準備もできていないし、僕にいたっては既に結婚して2人目の子供が生まれたばかりの頃だったのだから。

 

しかし、体は25歳でも心は少年のような僕は、誰に止められようがそんなもんは聞くはずもない。むしろ反対されれば反対されるほど、内なる闘志に火が付くタイプの人間だからだ。

 

そんなある日、当時勤めている税理士法人での生活に嫌気がさしていた僕はいつものコンビニで長江に突然こう切り出した。

 

大倉 「まじで、そろそろ始めるか!!」

 

正直、長江がどう答えるか僕にはわかっていた。
予想通り、長江は一切迷うことなく強い口調でこう言った。

 

長江 「OKです。とっくに準備はできてます。」

大倉 「だろうな、知ってる。。」

 

この日がキッカケとなり、僕は一足先に当時勤めていた税理士法人の代表に退職届を叩きつけた。
そして翌月、長江も僕の後を追うように退職した。

 

これが26歳春のことだった。

 

今だから言えることだが、正直開業の準備なんかは一切していないと言っていい。
準備期間はたったの一ヶ月。

 

その一ヶ月に何をやったかと言えば、税理士登録と事務所の契約と創業融資の審査だけ。

よく考えると、融資が通らなかったらどうするつもりだったのかわからない。
それぐらい、無計画で突発的に事務所を止めて独立することを決めてしまったのである。

 

唯一開業の準備をしたと言えば、「心の準備」だけだった。

 

ただ今になってみれば、この時に無計画でも何でもいいから、とっと独立して正解だったと思う。

いや、むしろもう一年早くても良かったとさえ思う。それぐらい税理士事務所に勤務することで得られるものなど無いと感じる。

 

あと1年開業が遅れていたらと思うとゾッとすることさえある。

それぐらい、マーケットインするタイミングは重要だと感じた。

 

しかし、この頃の僕達は当然ながら未来が見えていたわけではない。

 

早めに独立したことが良かったと思うのはまだまだ先のことで、ただただ辛い極貧状態の開業初期を過ごすことになるとは想像もできていなかった。

 

第二章 開業初期の極貧生活

 

大倉 「今日、オレが台湾ラーメンで良い??」

長江 「いいよ!じゃあ俺がチャーハンで!!」

 

威勢よく開業してから半年が経っていた。
昼飯と言えば、もっぱら事務所の近くの中国人が経営する激安の中華料理屋だ。

 

ランチタイムに行けば、なんと680円で台湾ラーメンとチャーハンがセットでついてくる。

これを1人前頼んで、二人で食べるというのが僕達の昼ごはん。しかも、2日1回は昼飯を抜く。

こんな究極の節約生活をしなければならないほど窮地に追い込まれていた。

 

少し前までの威勢の良さはいったいどこへ行ってしまったのだろう。
一体この半年間で何があったのか…

 

そう。何もなかったのである。

 

開業してからというのも、無い知恵を絞って考えられることはやってきたつもりだった。

 

〇飛び込み営業
〇テレアポ
〇FAXDM
〇新設法人にDM
〇HP作成
〇○○会に入会し人脈構築
〇自社開催のセミナー

 

なのに半年で増えた顧客は15件程度。減ったお金はざっと計算して7百万。。

 

今思うと15件取れただけでもすごい事だと思う。しかし、ほぼ顧客ゼロでしかも借金をして開業した僕達にとっては15件ほどでは何ともならない。

 

この頃の僕の日課はというと、資金繰り表とにらめっこして、いつ資金が底をつくか計算することだった。

よく、「このまま一件も客が獲れんと、来年の5月にはデフォルトするぞ!」と長江に報告したものだ。

 

本当に笑えないぐらい厳しい状況だった。毎月5件ぐらいは顧客を獲っていかないとほんとに資金が枯渇してしまう。

そんな悲惨な状況だった。

 

そんな時期が確か開業した年の12月頃。はじめて約半年が過ぎた頃だったと記憶している。

 

当時一番力を入れていたのがセミナー集客だった。

 

自分で内容を全部考えて、これはイケると思って開催したのが、その名も「中小企業のための資金繰りセミナー」!

 

今もうと本当にお粗末な内容で、よくこれでそれっぽい顔して講師なんかやったなと思う。

 

恥ずかし過ぎて資料のデータは捨ててしまったが、あったらぜひ見てもらいたいものだ。本当に思い出すと今でも恥ずかしくなって赤面してしまう。

 

それはさておき、この時の集客方法はというと、10,000件ぐらいFAXDMを送ることだった。大体10,000件送ると、5件~15件ぐらいの参加者がくると言った具合だ。

 

そして、その後に個別相談というのを設けて顧客にしてしまおうという何とも良くありそうな流れである。

 

一番頻度が多い時は、月に2回ペースでやっていたと記憶している。

 

そこで、ぽつぽつ顧客を獲得できていたのだが、いかんせんこの方法は資金繰りが最高に悪い。

 

一度セミナーを開催しようものなら、10,000通ものFAXDMを送らなければならない。

 

これには約10万円の広告費が掛かる。もちろんこれは先に出さなければならない。

 

さらに1回セミナーをやって、顧客1件を獲得できたとしても、これがすぐに契約に至るわけではない。

 

一番多いのは次の決算が終わってからというパータンだ。

 

仮にすぐに当月から契約になったとしても、税理士の報酬は毎月定額課金のため、10万円の広告費を回収するのに何カ月かは確実に掛かる。

 

気づけば、顧客は取れ始めていたが、セミナーをやればやるほど資金は減っていくという負のスパイラルに陥っていたのである。

 

そんな時、チラホラとHPから問い合わせが来るようになっていた。

 

たぶん、最初は作りたてだったので検索順位も低くアクセス自体がなかったのだと思う。

 

それをきっかけに、大勝負に出ることを決めた。

 

この時の預金残高は、たしか200万円もなかったと思う。

 

そんな状態で僕は長江に相談を持ちかけた。。

 

大倉 「○○○に金突っ込んでみようと思うんだけどどう思う?」
大倉 「85万だから、ミスったらかなりヤバいよ。」

 

こう言いながらも、何て返事をするかはわかっていた。。。

僕の予想通りに彼はこういった。

 

長江 「いいんじゃない。」
長江 「何もせんとどうせ潰れるだけだし、ミスった所で遅いか早いかでしょ」

 

この時以上に彼のことを心強く思ったことはない。

ほぼ、潰れますと宣言をしているのと変わらないのに、何のためらいもなく同意するとは。。

 

たぶん馬鹿なんだと思う。
僕も含めて。。

 

そして、次の日、震える手を押さえながら、85万円の送金ボタンをクリックしたのであった。

 

第三章 てぃーふろの危機、長江との別れ

 

長江 「あの~。ちょっと話が…」
大倉 「どうした??」
長江 「突然ですが… オレ事務所辞めます!!」

 

僕が震える手を押さえながら85万円の振り込みをしてから3ヶ月がたっていた。

 

この時点では、捨て身で使ったこの85万円の効果はまだあまり出ていなかった。

 

もういい加減ヤバイ。このままでは資金が持たない。

 

毎日どれだけ資金繰り表と格闘しても、あと3ヶ月後には資金が枯渇することは明らかだった。

 

そんな、最悪な状況下で長江からの突然の退職宣言。

これにはさすがに僕も驚いた。

 

これまで、相談こそしていたものの、僕の裁量でさんざん無駄な広告費を払い続けた結果、ろくに顧客も獲得できず、このような窮地に追い込まれたのだ。

 

普通に考えればとっくに辞めていてもおかしくはない。

 

すると、次に長江はなぜかハイテンションでこう言った。

 

長江 「いったんどっかの事務所に就職して、金稼いでくるわ!」

長江 「で、金貯まるか、客が増えたらまた合流します!!」

 

こいつは、心底アホだと思った。

 

最初から辞めるつもりなどなく、事務所存続のために自分を犠牲にしようと考えての一旦退職という結果だったのだ。

 

この時はまだ法人化はしておらず、僕の個人名義で事務所をやっていたため、僕が外へ働きに出るわけにはいかない。その事を彼はわかっていたのだろう。犠牲になるなら自分だと。

 

情けないことに、僕にはもうその選択肢をとるしかなかった。

 

親や兄弟に頼み込んで資金を援助してもらうという選択肢もあったがなぜかそれは全く考えなかった。

 

次の日から、長江の転職先を探す作業が始まった。

 

でもなぜだか、こんな時でも僕達はいつも楽しそうだった。

 

大倉 「おい!○○事務所はどうよ!!」
長江 「そこはアカン。面が割れてるから絶対採用してくれん!」
大倉 「じゃあ、ここはどうだ!」
長江 「あ~、それは所長が○○だから無理でしょ!」

 

こんな会話が数日間続いた。そして、候補の事務所が決まり早速履歴書を送った。

 

すると、見事に全部不採用になってしまった。しかも書類選考で。

 

税理士資格を持った人間がまさか不採用になるとは夢にも思っていなかったので僕達は驚いた。

 

と、同時に次の打つ手がなくなり、廃業の2文字が頭をよぎった。

 

もうだめだ。

 

そんな時、一本の電話が鳴った。
電話の相手は知り合いの経営者のBさんからだった。

 

大倉 「どうも!大倉です。」
Bさん「大倉君って、相続とかやる?」
大倉 「はい。仕事があれば全然やりますけど…」
Bさん「じゃあ、ちょうど知り合いが困ってるから紹介するわ!」

 

この時ばかりは神様の存在を信じた。

 

相続と言えば、規模によもよるが100万単位の報酬が見込みめる。

 

この100万があれば、事務所の命が3ヶ月は延びる計算だった。

 

結局、この相続で150万円頂けることになり、寸でのところで廃業を免れた。

 

しかし、ホッとしている場合ではない。

 

ただ一時的な資金が入ってきただけど状況は何も変わらない。

 

このままでは、毎月資金が目減りしていくだけだ。

 

何か手を打たなければ、半年後にまた同じことになる。

 

そう考えた僕は、長江にこう言った。

 

大倉 「よし!こうなったら事務所を名古屋に引っ越そう!!」
長江 「そりゃいいね。」

 

もはや、聞く必要があるかわからないぐらいの素早い返事。

 

それもそうで、改めて聞かなくても普段からそういう話はしているからだ。

 

当時はまだ愛知県の豊田市で事務所を借りていた。

 

当時実は豊田市で新設される法人は毎月10社もなかった。これに対して名古屋は毎月200社~300社も新設されていることに目を付けた。

 

この事実を知り、圧倒的に企業数が多い地域に事務所があった方が顧客は獲れるのではないかと考えた。

 

ただ、引っ越しと言っても結構な資金は掛かる。

 

相続の報酬で150万円入った来たとしても、ここで一時的に資金を使うとまた寿命が縮まる。

 

もうここまで来ると僕らの感覚はおかしくなっている。

 

防御の事は何も考えていない。とにかく、パンチを打つ。打つ。打つ。打つ。ノーガードで当たるまで打つ。こんな感覚だった。

 

時々考えることがある。
今の僕にあの時の選択が出来るだろうかと。

 

まずできないと思う。
よくも悪くも少し大人になっということだろうか。

 

当時の僕らは何だかそんな苦しい状況を楽しんでいるようにも思えた。

 

実際に今よりも毎日充実していたかもしれない。

 

そんな頃、3ヶ月前に僕が放った85万円の効果がジワジワと出始めた。

 

今考えれば相当ボったくられたと思うが、この85万円は実はSEO対策のために投じた資金だったのだ。

その効果が出始めHPからの問い合わせが増えてきたのがちょうどこの頃だった。

 

これをきっかけに、事務所を名古屋に引っ越すことに決めた。

この時の引っ越し費用はたしか100万円程。

 

当時の状況で100万円はかなり負担が大きい。

でも不思議と全く躊躇することはなかった。

 

これが27歳の春のことだった。

 

第四章 ついに来た!てぃーふろの快進撃

 

 

あれから1年後。
僕達は表彰台に立っていた。

 

 

 

最後の一手として、名古屋に事務所を移転することを決めた日から約1年が過ぎていた。

 

僕らはアックスコンサルティングが主催する新規顧客獲得キャンペーンで事務所・個人・件数と3冠を達成し見事全国1位の称号を獲得することができた。

 

一年前までは事務所を廃業しなければならないほどの窮地に追い込まれていた僕らにいったい何が起きたのか??

 

名古屋に事務所を引っ越してから間もなくしてその兆候は見られた。

 

この頃から、これまでHPからの問い合わせが月に1、2件だったはずが、週に1,2件に増えていた。

 

SEO対策の効果があったのか、それとも名古屋に事務所を引っ越したのが良かったのかはわからない。恐らく両方だと推測している。

 

問い合せを受ける電話は、フリーダイヤルを使っていたため、電話取るとその電話が問い合せなのかどうかがすぐわかるようになっている。

 

フリーダイヤルの場合は、電話を取ると地域名のアナウンスが流れる。

「ナゴヤ・ナゴヤ」これが問い合せの合図だ。

 

当時はこのアナウンスを聞くたびに、お互い顔を見合わせてガッツポーズをしたものである。

 

しばらくして、状況は急激に進展することになる。

 

夏ごろには、週に1,2回の問い合わせだったものが、なんと毎日来るようになっていた。

 

検索ワードの順位は、「税理士 名古屋」が2位。「会社設立 名古屋」は5位ぐらいの検索順位だったような気がする。85万円は高かったがその分は余裕で回収できていた。

 

それに加えて、月に20万円以上はリスティング広告を打っていた。

 

しかも、名古屋ではまだ、「会社設立0円」という宣伝文句で広告を打っている事務所は無かったため、すこぶる反応が良かった。これにはだいぶ先駆者利益の恩恵を受けさせて貰った。

 

しかし、こうなると新規の対応だけでかなりハードなスケジュールになってしまう。

 

当時ガムシャラだった僕らのやり方は、問い合せが来たら先方まで訪問する営業スタイルだった。

 

その方が契約率が上がると思っていたのもあるが、営業マンは訪問するのが当たり前だと考えていたからだ。

 

今思えば、かなり非効率な営業方法だったと思う。

 

ひどい時は2時間ぐらい車で新規の問い合わせ先に行って、契約に至らなかったことがある。

 

今ならこんなことは考えられない。

 

何でそんな遠いところまで商圏を広げていたのかわからないが、この頃の僕達はとにかく飢えていた。

 

単純にお金がなかったからやるしかなかったということもあるが、それとは違う感情に突き動かされているものが確かにあった。

 

そう、僕らは開業する前の、「根拠のない自信」を、「確信」へと変えたくて、ただひたすらに突き進んだのだ。

 

そして、これまでのウップンをはらすかのように、来た問い合せは一件でも逃すまいと、なりふり構わず新規の問い合わせを契約に結びつけた。

 

そのあとの事はあまり記憶に残っていない。ただただ新規の対応に追われて忙しかったのを覚えている。気付いた時には、1年弱で120件以上の顧客が増えていた。

 

しばらくすると、毎日の僕の日課は変わっていた。

 

これまでは、「いつ資金ショートするか」を計算するのが毎日の日課だった。

 

それが、「いくら役員報酬を取れるか」を計算することに変わっていた。

 

28歳の少し暖かくなったてきた春のことだった。

 

第五章 てぃーふろの迷い

 

 

2012年4月の新規獲得キャンペーンで1位を獲得してから丸2年が経っていた。

2011年の4月から2012年の3月までの一年間で120社の顧問先を獲得した。

 

現在この記事を書いているのは、2014年6月。

1年間で120件の顧客を獲得できるのであれば、既に400件近くの顧問先を持っていることになる。

果たしてT-FRONTは400件もの顧問先を獲得できているのだろうか?

 

残念ながら400件もの顧問先はいない。

 

これには様々な理由があるが、一つは、同じことをやる事務所が増えたため同じように拡大していくのは難しくなったことが挙げられる。

 

しかし、一番の理由は自分たちが「拡大の手を緩めたから」に他ならない。

 

26歳という年齢で、勢いに任せて独立開業した僕達は本当に何もわかっていなかった。

経営のケの字も知らず、マーケティングのマの字も知らず。手探り状態でここまでやってきて、自分は何もわかっていなかったということを知った。

 

何より一番わかっているはずである、「自分」のことさえわかっていなかったことに気付かされた。

 

開業してから、3年目ぐらいにそのことに気が付いた僕は、この時はじめて真剣に事務所の方向性を考えた。

 

これまでは、そんなこと考えることはできなかった。

 

当然である。事務所の存続すら危うい状況で、将来のことなんか考えられるはずもない。明日食いつなぐ方法を考えるだけで精一杯だったのだ。

 

お金も時間も少し余裕が出てきたところで、今後の事務所の方向性、また自分の今度の人生を見つめ直した。

 

自分たちは何がやりたいのか?
何がやりたくないのか?
どういう人生を送りたいのか?

 

これまでガムシャラにやってきて、このまま突き進むことは、自分達の中で何かが違うことは分かっていた。

 

だから、この答えを導き出すまでに時間は掛らなかった。

 

今後、僕らはどのような方向で進んで行くのか、何を目指すのか


僕と長江の答えは一致していた。

 

まだ実現したわけでもないし、具体的に形になっているわけでもないので、ここで公開することはまだしない。

 

1つ言える事は、価格競争に参加して自分たちを擦り減らす殺し合いの螺旋からはもう辞めたい。

 

これからは、自分たちにしかできない形を作っていく方向に力を注ぐことを決めた。

 

たぶんこの構想を人に話したら「お前はバカか?」「無理に決まってるだろ!」と言われるのだろう。

 

でも、そういうのはもう慣れた。むしろ、逆境でこそ力を発揮するのが我々T-FRONTである。

 

今、思い描いていることが形になったら、その時は第6章を書こうと思う。

よって、この物語も一旦ここで終わりを迎える。

 

この続きを書く時が来るかはわからないが、もし第6章を書く時が来たら、その時、僕達は新たなT-FRONTに生まれ変わっているであろう。

 

第7章に続く coming soon

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